平天下の日記

平天下と言います。備忘録としてブログを始めてみました。

体調不良時の自由研究

 つい先日体調不良になった。熱はないが嘔吐・排泄の回数著しく、全くもって動けない。ついには自炊する体力まで奪われた。如何せん何かしらを口に入れる必要があるのだが、あいにく食欲もなく即席の冷凍食品も底をついている。

 これには明確な原因がありゼミで遠距離の学会に参加した際に、私が費用の節約のため漫画喫茶で二泊したこと、そして学会が三日に渡り開催されたのだが毎晩の飲み会でしこたま酒を飲まされたことで臓腑が弱ったということだ。医者ではないがそれくらいはわかる。

 話を戻すが布団に体を預けボゥっとしていた時に、ふと閃いたことがある。グラップラー刃牙の炭酸抜きコーラの逸話と、バキの14kgの砂糖水の逸話だ。前者は炭酸を抜いたコーラは糖分が豊富で栄養の吸収効率が良く、一流のマラソン選手が行っていることがあるとかなんとか。後者は弱り切った臓腑は復習を誓っているため糖分を欲しており、その状態で大量の糖分を摂取すると劇的な超回復を遂げるとかうんたらかんたら。まあ詳細な事は忘れたし、漫画に散見される一種の誇張表現であるかもしれないが、物は試しである。自分の體を使って実験してみよう!ということでなけなしの体力を振り絞り1.5Lのコーラを買ってきた。(勿論コーラと一緒に冷凍食品やインスタント麺も買ってきた)

炭酸抜きコーラ(グラップラー刃牙より)

14kgの砂糖水(バキより)

 流石に一気飲みは出来なかったので一日かけてチマチマとコーラを飲むことにした。勿論炭酸を抜くためにそれはもうメチャ振った。それはもう。まあ味の感想についてはただの砂糖水ってかんじである。甘いけど美味しいかと言われたらそんなことは無い。恐らく冷やしたらまだ耐えていると思われるが、如何せんスーパーで常温の安いやつを買ってきたのであいにく温い。まあ刃牙が飲んでいるのも常温の砂糖水なので、条件を同じにしたと考えたらいいだろう。

 とりあえず一日経過した。病状は改善したと思われる。しかしながらコーラのおかげかと言われると、そういう訳ではなさそうである。というのは自分で言うのは何だが私は学生だ、即ち免疫力が高いのだ。故に勝手に治ってしまうということが起こってしまう。まあコーラを擁護するとするならば、プラセボくらいの役割は果たしてくれたかな(笑)程度である。とはいえまだ食欲が戻ってはおらず、完治していないためコーラを使った治療法(笑)を行ってみよう。

 二日目、完治した。まあこれもコーラのおかげというよりかは、自身の免疫力の賜物であるに違いない。とりあえず治ってよかった~という気持ちだ。

 結論としてコーラを飲むことが、エネルギー摂取効率を上げ、復讐を誓う臓腑達を導く前奏曲と言えるかは分からないというものになった。まあそうだ。前提条件として刃牙は瀕死状態の際に砂糖水を飲み超回復をしているが、自分は体調不良程度の状態だ。コンディションがまるで違うし、実験を行う条件が整っていないのだ。要反省である。しかしながら病気と喫コーラの関係は意外にも興味深く、欧米ではしばしば「風邪にはコーラが効く」という考えのもと実際に行っているらしい。まあコーラの祖先はカラメルとコカインを混ぜ合わせたシロップと炭酸水を混ぜ合わせた風邪薬なので原点回帰といえば原点回帰的な考えだ。(※今のコーラにはコカインは入っていません!)

 とりあえず自分の體を用いて実験できてよかったので良し!としようかな。

 

https://tenki.jp/suppl/tomo_kouda/2015/06/24/4691.html

 

ゼミや自分に対する愚痴

 今現在私は大学のゼミに所属しており、来年度卒業を控える身として研究(笑)を行っているが、嗚呼面倒くさい...と思うことが増えている。私が所属するゼミは他のものと比べてスパルタらしい。まだ卒業する学年でないにもかかわらず、学会に参加し発表をする。そして他大学の修士の学生とディスカッションを行う等、なかなかなものだ。まあアットホームなゼミであることは間違いないだろう。そんなこんなで残り一年以上ある卒業のために、研究を行っているがついに来た。学会での発表が。お世辞にも私の研究は年相応の粗末なものだ。とても教授や企業に所属する研究員に見せられるものではない。勿論要旨投稿、発表の練習、ポスター制作などは一通り行った。しかしながら定番の質問である「この研究をする意義はなんですか」という問いや、「この先行研究に比べて劣っているのではないか」という問いや指摘に対し私は明確に回答することが出来ないであろう。これは「自信が無い」という確度が無い表現ではない、どうあがいても無理であるという諦念である。そう考えていると自分が行っていることが極めて虚しいものであるかのように思えてしまうのだ。何故私は学会へ赴き、ただ赤っ恥をかくのであろうか。やはり就活のためであろうか、確かに学会で発表したと言えば所謂「ガクチカ」が出来上がるだろう。或いは教授の目的として、研究の面白さを学生に伝えることで修士・博士課程への進学を促し、日本の学術振興のための一助としているのだろうか。私には皆目わからないが、事実文系のゼミであるにも拘らず一定数院進する人間がいることから効果があるのかもしれない。そんな御託はどうでもいいのだが…。私の人間的な性質として「困難を乗り越えた先に何かがあるはずだ、だから決して諦めない!」というスポ根精神が備わっていないのだろう、怠惰に生きたいのだ。一応ケツを叩けば前には進むが、駄馬であることには変わりない。そんな人間なのでこういう困難系のイベントがまあ辛いのである。そして質が悪いものしか作れないという…。幸い研究の分析手法や実際の分析は先輩のお力添えをいただき予想以上に円滑に行うことが出来た、圧倒的感謝である。でも…それでもあと一年ちょい走り続けることが出来るのかと問われたら、答えに詰まってしまう。ゼミの活動や研究が重要であることは理解しているが、就職活動や単位取得に向けて本腰を入れる必要がある。なんせ将来がかかっているのだ。怠惰ではあるが、人並のプライドを持っている自分が憎い。生産性をより向上してから、言っていただきたいどす(京言葉)。芥川はかつて「自殺者は大抵レニエの描いたやうに何の為に自殺するかを知らないであらう。それは我々の行為するやうに複雑な動機を含んでゐる。が、少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。」と記した。勿論彼と比べることはおこがましいことは百も承知であるが、私も将来に対してこの「ぼんやりとした不安」を抱えている。恐らく後年私が過去のことを振り返った際には極めて凡庸な悩みであり、取るに足らないことのように思えるだろう。しかしながら今ここで生きている私にとっては非常に重苦しく、先の見えないものだ。この苦痛を軽減することはウェーバーが言うように「日々の仕事(ザッヘ)に集中するべきである」ことが重要なのであろうが、怠惰故それが出来ない。ゼミとかいう小さな出来事のみならずそれ以降の重大な物事に耐えられるのか、私はわからない。先の見えない不安がひたすらに襲う感覚、この私が私に対して出す警報を無視するような事態になったとき私は既に人間的に死んでいると言っても過言ではないだろう。

2022年度に円の実力が50年ぶりの低さになったことに対する考察と提言@初学者なので間違いがあればコメントで訂正お願いします!

 2022年2月、円の実力が50年ぶりの低さとなった。日本経済新聞原油を始めとする国際商品価格が高止まりしていること、輸入物価の上昇を通して消費者の負担が増していることを強調した。一方で産業経済新聞は近年の日本におけるデフレの影響について述べている。日本の物価上昇率がゼロであることに対し、米国の物価上昇率が年平均2%程度である。この状況が20年続いたことで日本の物価・賃金が相対的に諸外国と比べて安価になったことが今回の原因であると述べている。最後に毎日新聞は安倍・岸田政権下において異次元緩和で円安を促し、景気回復を図った政策の手じまいが容易ではないことを挙げている。日本の経済運営の脆弱さがコロナ危機・ウクライナ戦争といった有事で浮き彫りとなり、円安がもたらすデメリットの不安を高めているとした。このように新聞社ごとに焦点の当て方は異なるが、今回の事態をネガティブな事柄として捉えている。

 ここで通貨の実力を示す基準である実質実効為替相場が重要となる。実質実効為替相場とは自国の財・サービス価格の財・サービス価格に対する相対価格を示し、その状態をもたらしている為替レートである。換言すると二国間為替レートに内外物価変動による通貨の購買力変化を反映した上で、貿易ウェイトで加重平均したものである。導出するための計算式としては、例えば日本の物価水準をP円、米国の物価水準をP’円、円建て名目為替相場をS(円/ドル)としたときS×P’/Pとして表される。この定義付けを踏まえた上で図1を見る。これは1964年から2023年における日本円とドルの実質実効為替相場である。確かにピークである1995年と現在を比較した場合半分以下に落ち込んでいることがわかる。

 実質実効為替相場の定義及び日本における状況について述べたため、次は日本の主要貿易相手国である中華人民共和国・米国・豪州の三か国と比較を行う。ここで定義内において値を導出するための計算式の要素の一つとして述べた、物価水準に着目する。というのは前述した通り物価が上昇しないデフレ状態の時に物価及び賃金が諸外国と比べて相対的に安くなる、あるいはインフレ状態の時に相対的に高くなることを客観的に示すことが出来るためだ。それを考慮したうえで図2を見る。ここでは1980年を基準とした物価上昇割合が示されている。日本が横ばいである一方で、オーストラリアや中華人民共和国といった途上国は急激な上昇が生じていることが分かる。また米国は日本と同様の先進国でありながらも、移民政策で労働力を確保し堅実な上昇を見せている。ここから物価水準の上昇割合を諸外国と比較する時、相対的に日本「円」の価値が減少していることが分かる。

 日本円の価値が減少した理由について二点ある。第一に物価高を受けて金融を引き締める欧米と、2%物価目標が未達故に超金融緩和を続ける日銀の姿勢の違いが起因しているためである。というのは日本のインフレ率は他国と比べて低いわけではないが政策金利がマイナスであり、他の中央銀行のスタンスと大きく異なるからだ。第二にプライマリーバランスの黒字化を最優先課題として掲げた結果、国民負担率が上昇したことである(図3)。換言すると税収を増加すると同時に政策経費を削減した結果国民の負担が大きくなった。それ故に相対的に低いインフレ期待と、それに伴う実質実効為替レートの低下をもたらした。

 結論として円の実力が50年ぶりの水準にまで低下した要因は、物価上昇の停滞が円の購買力を低下させたことである。この状況を打開するためには政策金利を調整するという安易解決策を取るのではなく政策経費を増加させ、経済安全保障・環境対策・デジタル化といった要素に長期的な投資を積極的に行うことが鍵になるのではないかと私は考える。

 資料

図1

図2

 

図3

 参考文献

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB208IY0Q2A120C2000000/#:~:text=%E5%86%86%E3%81%AE%E7%B7%8F%E5%90%88%E7%9A%84%E3%81%AA,%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%92%E7%A4%BA%E3%81%99%E3%80%82

https://www.sankei.com/article/20220424-O67HQUWV45LSDABA5YBKJ4KNHI/

https://mainichi.jp/articles/20220328/ddm/005/070/012000c

https://www.mof.go.jp/zaisei/reference/reference-03.html

https://www.dlri.co.jp/report/macro/285478.html

映画:ダウンタウンヒーローズの感想

 

映画のポスター

この映画は主に旧制高等学校の生徒が如何に考え、行動し、そして一年という短い年月の中で学生たちが変化していく様子を描いた作品だ。この映画が上映されたのは1988年、即ち丁度映画の設定年代の40年後に当たる。非常に当時の様子が分かりやすく描かれており、デカンショ節や学祭そして校舎の様子はリアリティを帯びている。2022年現在の40年前と言えば中曽根内閣発足やロッキード事件等が記憶に新しい。当時この映画を見た人々は懐かしさを感じると同時に、自身の青春時代を思い出すトリガーとなったことは容易に想像がつく。映画自体は一見すると恋愛映画の様に捉えることが出来、オンケル・浩介・房子、アルル・咲子の関係に見いだせる。しかしながら、恋愛はこの映画においては一断面に過ぎない。この映画において最も重要なことは1980年代後半、バブル景気により未曽有の好景気を迎えていた日本に対するアンチテーゼ的な側面を持っていたということだ。常に空腹で恵まれてはいない状態であるにも拘わらず、希望に満ち満ちていた時代がたった40年前にあったということを示したかったのではなかろうか。そして映画の後半で教師が放った言葉が痛烈に1980年代当時の状況を批判している。彼曰はく「君たちが社会に出る頃にはアメリカのコントロールによって日本の生産力は回復し食糧難も解決するだろう。その時に考えて欲しいことは、飢餓感を埋められただけで日本人は幸せになれるだろうかということです。欲するものが全て手に入りそうなときは警戒せよ。肥えていく豚は幸運ではないという言葉がありますが、今の日本を動かしている大きな力が自由への強い憧れを奪って日本人を従順な羊の群れにしてしまうのではないかという不安を覚えるのです。」と。実際に今の日本国民は自由を当然の如く享受し、またそれを謳歌している。そして小中高大という大人により敷かれたレールの上に順当に乗ることが全てであると教育され、従順にそれを受け入れる。しかしながらそれだけでは日本人が更なる発展を遂げることはできないということをこの映画は表現しているのだ。活発な議論や自治の精神そして泥臭さといった「旧制高等学校らしさ」が重要なのであるということを示した作品なのではなかろうかと私は考えている。「旧制高等学校らしさ」とは突き詰めるとスティージョブズ氏が述べたstay hungry, stay foolish の言葉が明確に当てはまる。確かにこの映画の原作は著者の自伝的な小説という性格を帯びているため、多少美化しているところは否めない。だが脚色があるとしても、旧制高等学校を卒業した人間が後世に残した遺産は計り知れないものがあることもまた事実だ。私たちは偉大なる先人が残した遺産を無に帰さないためにも、常に貪欲かつ自由溌溂な精神であらねばならないとこの映画が問いかけていることに対して応えなければならないのである。

読書:麻雀麒麟児の一打鉄鳴き(堀内正人著)に対する感想

 

表紙

私は趣味で麻雀を嗜む。その延長線上でMリーグの切り抜きや戦術に関するYoutubeの動画を視聴するようになった。この中で異彩を放つ人物こそが、今回の著作「麻雀麒麟児の一打鉄鳴き」を書きあげた堀内正人氏である。彼の企画は世界各国でポーカーを行い賞金を稼ぐこと、日本全国にある雀荘の宣伝を中心とする旅麻雀の二軸で成り立っている。しばしば「あなたへのオススメ」として表示されるので視聴させていただいているが、大変面白い。一方で経歴がかなり複雑でありここでは省略させていただくが、今現在ではプロポーカープレイヤー・投資家・Youtuber等多岐にわたって精力的にご活躍されている。

 話を戻そう。今回の著作は2013年、堀内氏が麻雀プロであったときに書かれたものだ。特徴としてはタイトルにもある通り、ポンやチーといった麻雀の「鳴き」について深い考察・分析が行われている点である。当時は面前や運の流れを重んじる風潮であり、鳴きは女々しく邪道であるという考えが横行していた。その中で堀内氏は確率的観点をもとに、鳴きの優位性を唱え実行した。そして実際に十段位という大きな麻雀のタイトルを手中に収めたことから、鳴き麻雀及びデジタル派の草分け的な存在である。彼の雀風を端的に表すのであれば「蝶のように舞い、蜂のように刺す」がふさわしいのではないだろうか。如何に早く聴牌を入れ、一方的に自身が攻撃できる状況を作り出すか。そして他家が立直等を仕掛けてきた際に、如何に素早く撤退するかに焦点が置かれている。そのためには例え一翻の安めの手であっても、積極的に鳴いていくべきだと彼は主張する。私はこれを読んだ際、強い衝撃を受けた。というのは初心者がしばしば行いがちな戦法であるためである。麻雀以外の例を挙げるとするならば、クラッシュロワイヤルというゲームで初心者がキングタワーを落とせば勝てると考えファイアボールを打ち込む一方で、上級者が10秒デッキでキングタワーを落とそうとする考えと同じようなものだろう。(よりよくわからなくなったならば申し訳ない)

 兎にも角にも革新的な手法であるということを述べたい。しかしながら初心者と堀内氏の差異は受け入れ枚数を増やすためのシャンテン戻しやベタオリする際の牌選択等随所に現れる攻めと守りの緩急の付け方ではないかと思う。いったん今日はここまでにして、また書きます。

HA12S アルトに関する整備記録

11/29 ロールバーパッドの取り付けをしたかったが、上手くできず持ち越し。

本来であればパッドに10cm感覚で切れ込みを入れ、バーを通した後に接着剤で固定する必要がある。しかしながらバーを通す際に力を加えすぎてしまい切れ込みが繋がり30-40cmほどになったことで、接着剤で固定しようにもできない状況に陥った。パッドのお代が決して安いものではないため、非常に面倒くさい。

12/6 自賠責保険を購入した。予想通り2万円程度、財布に痛い。明日車検に行ければよいのだが、放置していた期間が長いからかオルタネーターが少し怪しい気がしている。バッテリーランプが点灯する時としないときがある。リビルドで1万円程度するのでやっぱりお財布に厳しい。まあ車検関係の費用や税金とかでもう1-2万円は飛びそうなので、気にしない方がいいのかも。まあ車いじりなんてそんなもんかと思う今日この頃。

12/16 車検取得のためいざ行動へ!しかしバッテリーが上がってしまい、路上で不動になった。しぶしぶバッテリーを最寄りのガソリンスタンドで購入し、動かせるようにした。恥ずかしかった(-"-)。まあ整備不良としてどっちみち車検落ちそうだし、いいでしょう!ダイアグコードたるものをやってみるしかなさそうだな~、オルタ交換とかいう脳死作業が恋しいよ…来週中に車検を取ろう!

12/19

オルタネーター 上(新)下(古)

脳死でオルタネーターを交換したら、点灯がなくなった!いや~よかった!これで光軸調整程度で車検を取れそう。まあ色からして明らかに経年劣化しているし、まあオルタ交換が妥当だったと今なら思う。交換時間は1時間程度でできた。案外整備力がついてきているのだろうか?いやきっとついている(反語)…はず。ダート車の道まであと少しだ。

1/19 年が明け車検を取得するために軽自動車検査協会へ殴り込みをかけた。まあチェックランプの類は一つもついてなかったし、まあいけるだろと思っていたが甘かった。排ガスとサイドスリップの二項目で検査に引っかかってしまった。アクセルを少し踏むとモクモクと立ち上る白煙、あほみたいにポジティブキャンバーが付いているタイヤ。まあ自明と言えば自明の結果である。とりあえずサイドスリップの方はアライメント調整をして、白煙の方はマフラーに軍手を詰めてなんとか対策するしかなさそうだ。なかなか焦らしてくれるじゃねえかアルトちゃんよう…(-"-)と思いつつ帰路へ。

あらゆるところにチェックが入れられ真っ赤になった検査証

3/3 試験、就職活動、ゼミ等学生らしいイベントが多く続いたのでアルトには全く手を触れずに三月に突入してしまった。車検取得の際に自賠責を延長しなければならないので金が飛ぶ。車検代行業者とか使いたいが、そっちの方が金がかかるという。ま…頑張ります。