平天下の日記

平天下と言います。備忘録としてブログを始めてみました。

ゼミや自分に対する愚痴

 今現在私は大学のゼミに所属しており、来年度卒業を控える身として研究(笑)を行っているが、嗚呼面倒くさい...と思うことが増えている。私が所属するゼミは他のものと比べてスパルタらしい。まだ卒業する学年でないにもかかわらず、学会に参加し発表をする。そして他大学の修士の学生とディスカッションを行う等、なかなかなものだ。まあアットホームなゼミであることは間違いないだろう。そんなこんなで残り一年以上ある卒業のために、研究を行っているがついに来た。学会での発表が。お世辞にも私の研究は年相応の粗末なものだ。とても教授や企業に所属する研究員に見せられるものではない。勿論要旨投稿、発表の練習、ポスター制作などは一通り行った。しかしながら定番の質問である「この研究をする意義はなんですか」という問いや、「この先行研究に比べて劣っているのではないか」という問いや指摘に対し私は明確に回答することが出来ないであろう。これは「自信が無い」という確度が無い表現ではない、どうあがいても無理であるという諦念である。そう考えていると自分が行っていることが極めて虚しいものであるかのように思えてしまうのだ。何故私は学会へ赴き、ただ赤っ恥をかくのであろうか。やはり就活のためであろうか、確かに学会で発表したと言えば所謂「ガクチカ」が出来上がるだろう。或いは教授の目的として、研究の面白さを学生に伝えることで修士・博士課程への進学を促し、日本の学術振興のための一助としているのだろうか。私には皆目わからないが、事実文系のゼミであるにも拘らず一定数院進する人間がいることから効果があるのかもしれない。そんな御託はどうでもいいのだが…。私の人間的な性質として「困難を乗り越えた先に何かがあるはずだ、だから決して諦めない!」というスポ根精神が備わっていないのだろう、怠惰に生きたいのだ。一応ケツを叩けば前には進むが、駄馬であることには変わりない。そんな人間なのでこういう困難系のイベントがまあ辛いのである。そして質が悪いものしか作れないという…。幸い研究の分析手法や実際の分析は先輩のお力添えをいただき予想以上に円滑に行うことが出来た、圧倒的感謝である。でも…それでもあと一年ちょい走り続けることが出来るのかと問われたら、答えに詰まってしまう。ゼミの活動や研究が重要であることは理解しているが、就職活動や単位取得に向けて本腰を入れる必要がある。なんせ将来がかかっているのだ。怠惰ではあるが、人並のプライドを持っている自分が憎い。生産性をより向上してから、言っていただきたいどす(京言葉)。芥川はかつて「自殺者は大抵レニエの描いたやうに何の為に自殺するかを知らないであらう。それは我々の行為するやうに複雑な動機を含んでゐる。が、少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。」と記した。勿論彼と比べることはおこがましいことは百も承知であるが、私も将来に対してこの「ぼんやりとした不安」を抱えている。恐らく後年私が過去のことを振り返った際には極めて凡庸な悩みであり、取るに足らないことのように思えるだろう。しかしながら今ここで生きている私にとっては非常に重苦しく、先の見えないものだ。この苦痛を軽減することはウェーバーが言うように「日々の仕事(ザッヘ)に集中するべきである」ことが重要なのであろうが、怠惰故それが出来ない。ゼミとかいう小さな出来事のみならずそれ以降の重大な物事に耐えられるのか、私はわからない。先の見えない不安がひたすらに襲う感覚、この私が私に対して出す警報を無視するような事態になったとき私は既に人間的に死んでいると言っても過言ではないだろう。